2016年09月21日
The Circle Game ?
joni mitchell のThe Circle Gameを聞きながら、展示用写真を選んでいました。
下手な写真でも、自分にとっては、思入れのあるもの。
一枚、一枚見続けていると、撮影時の記憶がよみがえってきます。
一枚目の写真は、右側の子供が、浪打きわで、ジャンプしていたの。足が地面から、離れた瞬間を撮ったつもりです。

白川郷の農家の店先で、トマトを売っていました。
売り手の姿は、なくずいぶん商売っ気がないな。と思ったのですが、
トマトって、夏の記憶そのものじゃないかな。と思いました。

花火は、袋井花火大会のもの。
例年雨続きだったんで、今回3年ぶりの雨のない花火かな。
毎年花火の写真を撮り続けていますが、パンフレットみたいな写真って撮るのが、難しいですね。
レリーズを押すタイミングと離すタイミングで、肉眼で見ている残像ってのを、写そうって意味でね。
一緒にカメラ席で撮っていた人も、”数が勝負”そんなこと言ってましたね。

サークルゲームって曲、"The "がついてるんで、あれっておもったんです。
一人称の名詞?
同じ疑問をもった人がいるんですね。
ネットで調べたら、考察していた人がいました。
"The Circle Game"と書くことで、個々の人生そのものを、指すんじゃないかって。
これって、訳詞を読んでみると、
野をかけ、トンボを撮っていた子供が、驚きを知ったのは、昨日のこと。
雷の音に、恐れを知り、流れ星に、涙を浮かべたのは、それから、10の季節が過ぎたとき。
十の澄み切った川と凍えた水面を滑るように、わたった。
”大きくなったら”、と弾む胸を押さえながら、
”いつかきっと”とはぐくんだ夢の数々
そして季節は、巡り、メリーゴーランドの木馬につかまり、上下に揺られながらl
引き返すこともできず、通り過ぎた場所を振り返りながら、時のサークルのを回り続ける。
とまあ人生そのもののあり方を表してるんですね。
若いときが、過ぎるのを悲しむんじゃなくて、刹那的感性ってのかな。
そんな歌なんですよ。
写真を選択しながら、この時ってもどってこないんだって、思ったらね。
この曲を聴きたくなったってことかな。
下手な写真でも、自分にとっては、思入れのあるもの。
一枚、一枚見続けていると、撮影時の記憶がよみがえってきます。
一枚目の写真は、右側の子供が、浪打きわで、ジャンプしていたの。足が地面から、離れた瞬間を撮ったつもりです。

白川郷の農家の店先で、トマトを売っていました。
売り手の姿は、なくずいぶん商売っ気がないな。と思ったのですが、
トマトって、夏の記憶そのものじゃないかな。と思いました。

花火は、袋井花火大会のもの。
例年雨続きだったんで、今回3年ぶりの雨のない花火かな。
毎年花火の写真を撮り続けていますが、パンフレットみたいな写真って撮るのが、難しいですね。
レリーズを押すタイミングと離すタイミングで、肉眼で見ている残像ってのを、写そうって意味でね。
一緒にカメラ席で撮っていた人も、”数が勝負”そんなこと言ってましたね。

サークルゲームって曲、"The "がついてるんで、あれっておもったんです。
一人称の名詞?
同じ疑問をもった人がいるんですね。
ネットで調べたら、考察していた人がいました。
"The Circle Game"と書くことで、個々の人生そのものを、指すんじゃないかって。
これって、訳詞を読んでみると、
野をかけ、トンボを撮っていた子供が、驚きを知ったのは、昨日のこと。
雷の音に、恐れを知り、流れ星に、涙を浮かべたのは、それから、10の季節が過ぎたとき。
十の澄み切った川と凍えた水面を滑るように、わたった。
”大きくなったら”、と弾む胸を押さえながら、
”いつかきっと”とはぐくんだ夢の数々
そして季節は、巡り、メリーゴーランドの木馬につかまり、上下に揺られながらl
引き返すこともできず、通り過ぎた場所を振り返りながら、時のサークルのを回り続ける。
とまあ人生そのもののあり方を表してるんですね。
若いときが、過ぎるのを悲しむんじゃなくて、刹那的感性ってのかな。
そんな歌なんですよ。
写真を選択しながら、この時ってもどってこないんだって、思ったらね。
この曲を聴きたくなったってことかな。
Posted by
takotyu
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21:36
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